2026年、筑波大学の柳沢正史先生とスタンフォード大学のEmmanuel Mignot先生が、アルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受賞しました。

評価されたのは、私たちが「眠る」「起きている」という毎日当たり前に繰り返している状態を理解するうえで重要な、オレキシンという脳内物質の研究です。

しかも、この研究は現在の不眠症治療薬だけでなく、ナルコレプシーの新しい治療薬にもつながっています。

では、オレキシンとは何なのでしょうか。そして薬の説明で出てくる「アンタゴニスト」と「アゴニスト」は、何が違うのでしょうか。

シンプルな答え

オレキシンは、脳の中で覚醒を安定して維持する働きを持つ神経ペプチドです。

オレキシンの働きが失われると、起きている状態を安定して保ちにくくなり、ナルコレプシーという病気のように睡眠と覚醒の切り替えが不安定になります。

そのため、

  • オレキシンの働きを邪魔する「アンタゴニスト」は、覚醒を弱めて眠りやすくする
  • オレキシンの働きを高める「アゴニスト」は、覚醒を維持しやすくする

という、正反対の薬を作ることができます。

この一つの仕組みから、「眠れない人」と「起きていられない人」の両方に対する治療法が生まれているのです。

2026年のラスカー賞では、何が評価された?

2026年のアルバート・ラスカー基礎医学研究賞は、柳沢正史先生とEmmanuel Mignot先生に授与されました。

ラスカー財団が評価した中心的な成果は、オレキシンという覚醒を維持する脳内ペプチドを見つけ、その働きが失われることがナルコレプシーにつながることを明らかにしたことです。

参考:Lasker Foundation「Orexin—a brain peptide that maintains wakefulness」

筑波大学も受賞理由として、オレキシンの発見と、オレキシン欠乏によってナルコレプシーが起こる仕組みの解明を紹介しています。

参考:筑波大学「2026年アルバート・ラスカー基礎医学研究賞」

オレキシンは、もともと「睡眠物質」として見つかったわけではない

興味深いのは、オレキシンが最初から「睡眠を研究して見つかった物質」ではないことです。

柳沢先生らは、役割の分かっていない受容体に結合する物質を探す研究から、新しい神経ペプチドを発見しました。

1998年に発表された論文では、この物質はオレキシンA、オレキシンBと名づけられました。

また、それらが結合する受容体として、現在OX1R、OX2Rと呼ばれる2種類のオレキシン受容体が知られています。

参考:Sakurai et al., Cell, 1998

「オレキシン」という名前は、当初この物質が摂食行動に関係すると考えられたことから、ギリシャ語の「食欲」に由来して名づけられました。

ところが、その後の研究で、もっと重要な役割が見えてきます。

オレキシンをなくしたマウスに起こったこと

柳沢先生らは、オレキシンを作れないマウスを作りました。

すると、そのマウスでは睡眠と覚醒の状態が不安定になり、ナルコレプシーに似た症状が現れました。

1999年にCell誌に発表されたこの研究は、オレキシンが単に食欲に関係する物質なのではなく、覚醒を安定して維持するうえで重要であることを示す大きな手がかりになりました。

参考:Chemelli et al., Cell, 1999

ここがオレキシン研究のおもしろいところです。

「眠るための物質」を見つけたのではありません。

むしろ、私たちが日中ずっと起き続けられるのは、脳が積極的に覚醒状態を安定させているからだという考え方につながりました。

ナルコレプシーでは何が起こっている?

ナルコレプシーは、強い日中の眠気や、突然眠り込んでしまう症状などを特徴とする睡眠障害です。

特にナルコレプシータイプ1では、オレキシンを作る神経細胞が失われ、オレキシンによる覚醒維持の信号が大きく低下します。

イメージとしては、

オレキシン →「起きている状態を安定させる」

という仕組みがあるのに、その信号そのものが不足してしまう状態です。

そのため、覚醒と睡眠の境界が不安定になります。

「アゴニスト」と「アンタゴニスト」って何?

薬の説明でよく登場するのが、「アゴニスト」と「アンタゴニスト」という言葉です。

難しそうですが、基本的な考え方はそれほど複雑ではありません。

受容体をスイッチと考えてみます。

種類何をする?オレキシン受容体の場合
アゴニスト受容体を刺激して働かせる覚醒を促す方向
アンタゴニスト受容体に作用して本来の刺激を妨げる覚醒を弱める方向

つまり、

アゴニスト=スイッチを入れる側

アンタゴニスト=スイッチが入るのを邪魔する側

と考えると分かりやすくなります。

ただし実際の受容体の働きは単純なON/OFFだけではないため、これは仕組みを理解するための簡略化したイメージです。

同じオレキシンを使って「眠らせる薬」と「起こす薬」が作れる

オレキシン研究が非常におもしろいのはここです。

不眠症ではオレキシンを邪魔する

眠りたいのに脳の覚醒系が強く働いているなら、オレキシンの信号を弱めればよいと考えられます。

そこで作られたのがオレキシン受容体拮抗薬です。

拮抗薬は英語でantagonist、つまりアンタゴニストです。

現在ではスボレキサント、レンボレキサント、ダリドレキサントなど、オレキシン受容体を阻害するタイプの不眠症治療薬が実際に使われています。

従来型の睡眠薬の一部が脳の活動全体を抑える方向に作用するのに対し、オレキシン受容体拮抗薬は覚醒を支える仕組みを弱めることで睡眠を促すという考え方です。

反対に、ナルコレプシーではオレキシンを働かせる

ナルコレプシータイプ1では、そもそもオレキシンの信号が不足しています。

そこで逆に、

オレキシン受容体を刺激すればよいのではないか

という発想が生まれます。

これがオレキシン受容体アゴニストです。

2026年には、大きな出来事がありました。

武田薬品が開発したオベポレクストン(oveporexton、商品名オーゼイフル/ORZEYFUL)が、オレキシン2受容体(OX2R)を刺激する薬としてナルコレプシータイプ1の治療薬に承認されました。

米国FDAは2026年8月5日に承認し、日本でも同年8月24日に製造販売承認されています。

参考:FDA「FDA Approves First Drug to Treat the Full Range of Narcolepsy Type 1 Symptoms」

参考:武田薬品「オーゼイフル錠、ナルコレプシータイプ1治療薬として日本で承認」

1990年代に見つかった脳内物質の仕組みが、およそ30年後に、

不眠症ではオレキシンを抑える

ナルコレプシーではオレキシンの働きを補う

という、正反対の治療につながったわけです。

オレキシンの発見から薬までを並べてみる

大まかな流れは次のようになります。

1998年
オレキシンとその受容体が報告される

↓

1999年
オレキシンを欠くマウスがナルコレプシー様の症状を示すことが分かる

↓

オレキシン=覚醒を安定させる重要な仕組み
という理解が進む

↓

オレキシン受容体アンタゴニスト
覚醒を弱める → 不眠症治療へ

↓

オレキシン受容体アゴニスト
覚醒信号を補う → ナルコレプシー治療へ

↓

2026年
柳沢正史先生とEmmanuel Mignot先生がラスカー賞を受賞
オレキシン2受容体作動薬オベポレクストンも承認

基礎研究で見つかった「脳の仕組み」が、病気の理解を変え、最終的に薬へつながった非常に分かりやすい例といえます。

では、そもそも私たちはなぜ眠るの?

オレキシンの研究から分かるのは、睡眠が単純に「脳の電源が切れた状態」ではないということです。

起きている状態にも、それを維持するための積極的な仕組みがあります。

一方で、「そもそも人間はなぜ眠る必要があるのか」「睡眠中に脳では何が起こっているのか」という問いは、オレキシンだけでは説明できません。

睡眠には、体内時計、睡眠圧、脳内のさまざまな神経回路、記憶、代謝など複数の仕組みが関わっています。

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