江戸時代は、なぜ季節によって1時間の長さが違ったの?
江戸時代の時刻を表す言葉に「明け六つ」「暮れ六つ」「昼九つ」などがあります。
実は、江戸時代には季節によって時間の区切り方が変わる仕組みがありました。
どうして毎日同じ長さの時間を使わなかったのでしょうか。
シンプルな答え
江戸時代には、昼と夜をそれぞれ6等分して時間を数える「不定時法(ふていじほう)」が広く使われていたからです。
夏は昼が長く、冬は昼が短くなります。そのため、昼の時間を6等分した一つの区切りも、夏は長く、冬は短くなりました。
現代の1時間は季節に関係なく60分ですが、江戸時代の「一刻(いっとき)」は必ずしも同じ長さではなかったのです。
江戸時代は昼と夜を別々に数えていた
私たちが現在使っている時間は、1日を24等分し、それぞれを1時間とする仕組みです。
夏でも冬でも、1時間は60分です。
一方、江戸時代に広く使われた不定時法では、昼と夜を分けて考えました。
昼の始まりを「明け六つ」、夜の始まりを「暮れ六つ」として、それぞれの間を6等分していたのです。
ここで注意したいのは、明け六つが単純に現代の午前6時、暮れ六つが午後6時を意味するわけではないことです。
国立天文台によると、明け六つは日の出前の夜明け、暮れ六つは日の入り後の日暮れにあたり、季節によって実際の時刻が変わっていました。
参考:国立天文台 暦Wiki「定時法と不定時法」
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/BBFEB9EF2FC4EABBFECBA1A4C8C9D4C4EABBFECBA1.html
参考:国立天文台 暦Wiki「夜明と日暮」
https://eco2.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/C7F6CCC02FCCEBCCC0A4C8C6FCCAEB.html
夏と冬では「一刻」の長さが違った
例えば、昼間の長さを単純化して比べてみましょう。
仮に昼が15時間あるとすれば、6等分した一刻は2時間30分になります。
反対に、昼が9時間なら、一刻は1時間30分になります。
| 昼の長さ(仮の例) | 6等分した一刻 |
|---|---|
| 15時間 | 2時間30分 |
| 12時間 | 2時間 |
| 9時間 | 1時間30分 |
これは仕組みを説明するための仮の数字で、江戸の夏至・冬至の実際の一刻の長さを示したものではありません。
大切なのは、昼が長くなれば昼の一刻も長くなり、昼が短くなれば昼の一刻も短くなるという関係です。
夜も同じように6等分するため、夏の夜の一刻は短く、冬の夜の一刻は長くなります。
つまり、同じ日でも昼と夜で一刻の長さが異なる場合がありました。

「明け六つ」「暮れ六つ」とは何だった?
不定時法では、時刻を「九つ」「八つ」「七つ」「六つ」「五つ」「四つ」などの呼び方で表しました。
そのため「六つ」だけでは朝か夕方かが分かりません。
そこで「明け六つ」「暮れ六つ」のように区別しました。
また「昼九つ」は、太陽が南の空で最も高くなる頃を指していました。
江戸時代の人々は、現代のようにすべての時刻を「何時何分」で表すのではなく、太陽の動きと結びついた時間の呼び方を使っていたのです。
国立天文台の暦Wikiでは、不定時法の時刻の呼び方とその関係が詳しく説明されています。
参考:国立天文台 暦Wiki「定時法と不定時法」
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/BBFEB9EF2FC4EABBFECBA1A4C8C9D4C4EABBFECBA1.html
なぜそんな時間の数え方をしていたの?
その背景には、太陽の動きと結びついた生活があります。
江戸時代には、夜間に利用できる照明や交通の仕組みが現代とは大きく異なっていました。
明るい時間に仕事や移動を行い、暗くなると活動を終える生活では、日の出や日暮れが重要な目安になります。
不定時法は、こうした自然の明暗に合わせて時間を区切る仕組みでした。
ただし、江戸時代の人々が時間に無頓着だったという意味ではありません。
時刻を知らせる鐘や時計もあり、社会生活の中で時間は重要でした。
現代と異なっていたのは、時間を計るための基本的な区切り方です。
江戸時代にも時計はあった?
江戸時代には「和時計」と呼ばれる時計がありました。
不定時法の特徴は、昼と夜の時間の長さが季節によって変わることです。
そのため、不定時法に対応する和時計には、季節によって時刻の目盛りを調整する仕組みを備えたものもありました。
西洋式の時計のように、同じ長さの時間を一年中繰り返し刻むだけでは、当時の時刻の呼び方と一致しないからです。
この点を知ると、江戸時代の時計は単に現代の時計より古い道具なのではなく、異なる時刻制度に対応した道具だったことが分かります。
現在の「1時間=60分」はいつ広まった?
大きな転換点になったのが明治時代です。
日本では明治6年(1873年)から、太陽暦の採用とともに、一日を一定の長さの時間に区切る「定時法」が導入されました。
さらに、この変化を考えるうえで興味深いのが鉄道の登場です。
国立国会図書館の「鉄道が変えたコト・モノ」では、鉄道が日本人の時間感覚に与えた影響を紹介しています。
鉄道を決められた時刻に運行するには、季節や昼夜によって時間の区切りが変わる仕組みより、一定の長さの時間を使う方が適しています。
実際、日本初の鉄道が開業した明治5年(1872年)の時刻表では、翌年の定時法導入に先立って、すでに「何時何分」という分単位の表記が使われていました。
鉄道が定時法を単独で生み出したわけではありませんが、鉄道の運行は、統一された時間の必要性を分かりやすく示す出来事だったのです。
参考:国立国会図書館「鉄道が変えたコト・モノ」第1章 時間感覚
https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/32/2.html
江戸時代の「一刻」を現代の2時間と考えてよい?
時代劇や歴史の解説では「一刻は約2時間」と説明されることがあります。
現代の24時間を12等分すると一つの区切りは2時間になるため、大まかな換算としては分かりやすい表現です。
しかし、不定時法では季節や昼夜によって一刻の長さが異なりました。
そのため、史料に出てくる「一刻」を常に現代の120分と換算できるわけではありません。
古い文書の時刻を現代の時計に当てはめる際には、不定時法か定時法か、その時代の時刻制度を確認する必要があります。
時間の長さは、昔から同じだったわけではない
現在、私たちは1時間を60分と考えることに慣れています。
しかし、江戸時代の不定時法では、太陽の動きに合わせて昼と夜を分け、それぞれを6等分していました。
だからこそ、一刻の長さは季節によって変わったのです。
そして明治時代になると、太陽暦や定時法の導入、鉄道の普及などを背景に、現在につながる時間の使い方が広まっていきました。
時刻を示す「明け六つ」や「暮れ六つ」という言葉には、私たちとは少し違う時間の考え方が残されています。
関連する疑問
江戸時代の制度や暮らしに興味がある方には、次の記事もおすすめです。
参勤交代は、江戸時代の大名が定期的に江戸へ出仕する制度でした。当時の時間や交通の仕組みを知ると、現代とは異なる江戸時代の社会を考える手がかりになります。
今回確認した資料
- 国立天文台 暦Wiki「定時法と不定時法」
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/BBFEB9EF2FC4EABBFECBA1A4C8C9D4C4EABBFECBA1.html - 国立天文台 暦Wiki「夜明と日暮」
https://eco2.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/C7F6CCC02FCCEBCCC0A4C8C6FCCAEB.html - 国立国会図書館「鉄道が変えたコト・モノ」第1章 時間感覚
https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/32/2.html - 日本芸術文化振興会・文化デジタルライブラリー「時刻とお金の数え方」
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/geino/rakugo/kurashi3.html - 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「江戸時代の夜明け・夕暮れの時間について」
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/reference/show?id=1000334313