なぜ節分に豆をまくの?
節分といえば、「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまくのがおなじみです。
鬼を追い払うために豆を投げる――と考えると分かりやすいのですが、歴史をたどると、現在の豆まきは最初から「節分の行事」だったわけではありません。
シンプルな答え
節分に豆をまくのは、豆に病気や災いを祓う力があると考えられていたことと、中国から伝わった鬼を追い払う行事「追儺(ついな)」が、日本の節分の行事と結びついたためとされています。
少なくとも15世紀には、「鬼は外、福は内」と唱えながら豆をまく記録が残っています。
しかし、「節分」「鬼を追う行事」「豆まき」は、もともとすべて同じ行事だったわけではありません。
もともと「節分」と「鬼やらい」は別の行事だった
現在は、
節分
↓
鬼が来る
↓
豆をまく
という一つの行事に見えます。
ところが、国立国会図書館の資料をたどると、この三つは少しずつ別のところから始まっています。
まず「節分」とは、本来、季節の分かれ目のことです。
立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前日が「節分」でした。現在は、その中でも特に一年の始まりに近いと考えられてきた立春の前日を、主に節分と呼んでいます。
一方、鬼や災いを追い払う行事には「追儺」という別のルーツがあります。
奈良時代には「追儺」が行われていた
追儺は、中国の「大儺」という鬼払いの風習を取り入れたものです。
国立国会図書館によると、日本では『続日本紀』から、慶雲3年(706年)には追儺が行われていたことが分かります。
ただし、この追儺は現在の節分とはかなり違いました。
もともとは大みそかの夜に行われ、一年間の病気や災いを象徴する「疫鬼」を追い払う宮中行事でした。
しかも、最初から赤鬼や青鬼に向かって豆を投げていたわけでもありません。
「方相氏(ほうそうし)」と呼ばれる役が疫鬼を追い払い、桃の弓や葦の矢、太鼓や大声などを使うこともありました。
では、いつから豆をまくようになった?
ここは正確な開始時期が分かっていません。
国立国会図書館も、節分に豆をまく「豆打ち」がいつ始まったのかは定かではないとしています。
ただし、15世紀にはかなり現在に近い記録が残っています。
禅僧・瑞渓周鳳の日記『臥雲日件録』には、文安4年(1447年)、立春の前日に各部屋で豆をまき、
「鬼は外、福は内」
と唱えたことが記録されています。
つまり、「鬼は外、福は内」と豆をまく習慣は、少なくとも500年以上前には確認できるのです。
なぜ「豆」だったの?
農林水産省は、豆について、米と同じように人のエネルギー源となる食べ物であり、昔は霊力を持つものとも考えられていたと説明しています。
その豆で病気や災いを祓い、さらに豆を食べることで力をいただく、という考え方が、追儺の鬼払いと結びついたとされています。
ただし、「なぜ最終的に大豆が主流になったのか」については、一つの理由だけで説明できません。
国立国会図書館は、
「魔滅(まめ)=魔を滅する」という言葉に結びつける説
大豆には鬼の毒を抑える力があると考えられたという説
五穀の中でも大豆が比較的身近だったこと
など、複数の背景を紹介しています。
「豆」という名前だから魔を滅するために使い始めた、わけではないかもしれません。
江戸時代に現在の節分へ近づいていった
もともと別々だった「追儺」と「節分」ですが、国立国会図書館によると、江戸時代には両者が完全に結びつくようになったとされています。
江戸時代の各地の風習を調べた記録には、
「鬼は外」以外の掛け声
鰯の頭を柊に刺す風習
豆を翌朝のご飯に入れて食べる地域
など、さまざまな節分の習慣が残されています。
現在の豆まきは、一つの古い行事がそのまま残ったというより、
中国由来の鬼払い
+
日本の節分
+
豆に厄払いの力を求める信仰
などが長い時間をかけて重なってできた行事と考えると分かりやすいでしょう。

「鬼は外、福は内」は昔から同じだった?
「鬼は外、福は内」という言葉自体は15世紀の記録に確認できます。
ただし、日本全国でまったく同じ掛け声を使ってきたわけではありません。
江戸時代の地域記録には、珍しい例として「福は内、鬼は内」と唱える家があったことも記されています。
現在でも、神社や寺院、地域によっては「鬼は外」と言わない場合があります。
節分は全国共通の行事に見えて、実際には地域ごとにかなり多様な文化を持っているのです。
1問クイズ
「鬼は外、福は内」と唱えながら豆をまく記録は、少なくともいつ頃までさかのぼれるでしょう?
A. 江戸時代の1700年代
B. 明治時代
C. 15世紀
D. 昭和時代
正解:C
文安4年(1447年)の『臥雲日件録』に、立春の前日に豆をまき、「鬼は外、福は内」と唱えた記録が残っています。
関連する疑問
江戸時代には節分を「年越し」と考えてそばを食べる習慣もありました。節分がなぜ「年の境目」と結びついていたのかを考えると、年越しそばの歴史ともつながってきます。
今回確認した資料
国立国会図書館「第1章 節分と豆まき|本の万華鏡 第21回 大豆」
節分の本来の意味、706年の追儺、15世紀の豆打ち、『臥雲日件録』の「鬼は外、福は内」、江戸時代の節分風習などを確認しました。
国立国会図書館「第1章 節分と豆まき」
農林水産省「節分の日に豆をまくのは、どうしてですか。」
豆に病気や災いを祓う力があると考えられていたことと、中国由来の追儺との関係を確認しました。
農林水産省「節分の日に豆をまくのは、どうしてですか。」